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★ 緊張感で心を刺激する効用がある イヤな人と一緒にいるのはたしかに疲れるものです。 なぜ疲れるかというと、精神が緊張するからですが、じつは、その緊張が心的活動を活性化させることもあるのです。 ですから、ときには意を決して、嫌いな人とも一緒に過ごすことも大切なのです。 気心の知れた仲間と、いつもの店でちょっと一杯。 これはじつに快いものですが、そればかりではぬるま湯につかっているのと同じで、だんだんふやけてきます。 人はバランスを求めて行動しますが、ときにはバランスを崩すような行動、つまり刺激も必要なのです。 インバランスな刺激は緊張をもたらします。すると、意識も生理も覚醒されるのです。警戒信号が全身を回るため、戦う姿勢が生まれます。 スポーツで相手と勝負することをイメージしてください。相手のことを嫌いというわけではありませんが、双方が緊張して気力が充実すれば、自分の力を十分に発揮できるでしょう。 人間関係においても同じことが言えます。 嫌いな人を前にすると、心が引き締まり、戦いの気持ちが強くなります。相手に負けたくない、負けられないという気持ちから、気力が充実し、自分を向上させようとします。 それに嫌いな人と仕事をすると甘えが許されませんから、自ら学び、努力しようとするものです。 嫌いな人とつき合うことも、人生では大事なことなのです。 ★ 建設的な意見を引き出す効用もある 嫌いな人と会議をする利点は、反対意見をきちんと主張できるところにあります。 相手の意見に反論するという行為は、相手の人にマイナスの反応をすることですから、好意の感情をもっている人にはやりにくいものです。 特にメンバー同士互いに好意をもって、強い結束力を誇っているような集団のなかで反対意見を言うのは、和を乱すことに鳴るので、はばかられるでしょう。 課長や部長の考えはおかしいと思っていても、なかなか言い出せないのが普通です。和を乱すことで部のまとまりにヒビを入れ、一丸となってやろうとしていることに水を差してしまうと考えるからです。 こうして、集団の和は保たれますが、これでは本当の意味の議論がなされたことになりません。課長や部長の意見は、上司の意見ということで、いい悪いに関わらず、満場一致で通ってしまいます。 これを「集団思考の誤り」と呼ばれ、集団は間違った方向に行き、メンバー個人も、自分の言いたいことも言えず、やりたい仕事もできなくなります。 一方、嫌いな人と会議ならどうでしょうか。 相手に嫌われるといった心配はいりませんから、自分の思っていることをズバズバ主張できます。相手が反対意見を出しても、それに遠慮なく真っ向から反対し、自分の意見を主張できます。 ですから、ときには嫌いな人と会議をしたほうがいいのです。 歯に衣着せずに自分の意見がいえたとき、自分本当はどういうことを考え、したいと思っているかが、みんなにわかってもらえます。そして、自分自身も再認識できるのです。 自分の意見を裸にする意味でも、嫌いな人との議論は役立つのです。
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